北条氏康の子供たち(2015 Facebook記事を修正)

北条氏康の子供たち
黒田 基樹 (編), 浅倉 直美 (編)
宮帯出版社 (2015/12/25) 3,500円(税抜)

 小田原北条家についての書籍ですが、一章をまるごと割いて、第五代古河公方・足利義氏正室の浄光院殿円桂宗明について解説。本章は長塚孝先生の執筆です。この女性については、史料不足で分かっていることが少なく、調べるのにも苦労していましたが、本書の解説はよくまとめられていると思いました。

 浄光院殿は北条氏康の娘であり、最後の古河公方・足利義氏の正室。氏姫(氏女)の母でもあります。義氏の母・芳春院殿も北条家の出身なので、古河公方家は二代続けて、北条家から室を迎えたことになります。本書では、義氏との婚姻時期やその背景、早世した長男出産時の様子、大聖院建立との関わりなどを解説・考察していきます。古河市内の大聖院は、浄光院殿が父・氏康の菩提を弔うために建立(再建)したようです。

 ときどき無造作に、足利義氏期の古河公方を北条氏の傀儡で無力な存在と言う人がいますが、少し単純すぎる見方かもしれません。例えば、佐藤博信先生によれば、公方家宿老・簗田氏が北条氏の介入に抵抗したため、北条氏が古河公方権力を完全に掌握したのは、天正2年(1574)、関宿合戦で敗れた簗田持助が、関宿城を明け渡したときでした。

 浄光院殿が義氏と結婚したのは、その直前、まさに北条氏との関係をめぐって、公方家内部が緊張していたときです。そんな雰囲気のなかに、実家の期待を背負ってやって来たのです。一方で義氏との仲は決して悪くはなかったようです。病気の浄光院殿のために、義氏が祈祷を命じた自筆書状が残っています。義氏が彼女を気遣っている様子が伺えるものでした。足利尊氏以来の伝統・関東公方家と、伝統を壊し新たな秩序を打ち立てようとする小田原北条家との間にはさまれた二人。思い通りにならないことも多かったでしょうが、それでも精一杯に生き、その証しが氏姫たちの新たな時代だったのではと思えます。

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