(2015 Facebook記事を修正)
直木賞作家である海音寺潮五郎の『かぶき大名』(2003年文春文庫)という、歴史小説傑作集の中に『乞食大名』という話があります。約30ページ程度ですが、今日はこの本の紹介です。
主人公は鮭延秀綱(さけのべひでつな)と言います。この人物自体あまり有名ではありませんが、古河市にはなかなか関係がある人物です。秀綱は奥州の雄・最上家に最上義光の代から仕え、家親・義俊と仕えます。義俊の治政の失敗から、義俊に代わり最上義光の四男・山野辺義忠を推す動きがあり(最上騒動)、これにより最上家は幕府に改易されてしまいます。この時、秀綱は最上家から1万5千石の禄高を得ており、石高としては大名並みでしたが、土井利勝のもとへ預けられます。そこから数年が経過し、秀綱は赦免され、土井利勝から5千石で士官の誘いを受けるのですが、昔の石高以上でないと士官は断ると意地になり、山形からついて来た20名の家臣とその家族とともに江戸へ出て乞食となります。この20名の家臣は秀綱が無禄であるにもかかわらず、秀綱を慕ってついて来た家臣達でした。
乞食をして数年が経ち、秀綱には仕官の話が何件も来るのの、秀綱の要望をみたす口はありませんでした。そうこうしているうちに、お家騒動の際に秀綱と一緒にお預けの身となった小国日向の息子が事件を起こしてしまい、晒し首の刑になります。この事件をきっかけに、秀綱は考えを改め、土井利勝に5千石で仕官することとなります。秀綱は家臣20人に自分の家禄を250石ずつ与えることを許してもらい、1646年84歳で亡くなるまで一日おきに家臣の家に寝泊まりします。家臣20人は鮭延越前秀綱の死後、亡主の冥福を祈るためにお寺を建立します。そのお寺が鮭延寺(けいえんじ)、古河の名刹として今も残っています。
上記の話はあくまでも小説であって、土井家中で秀綱は自分の屋敷地を持っていました。
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