古河の文字が一切載っていない日光街道(2015 Facebook記事を修正)

 日光社参は、徳川将軍家が家康廟がある日光へ、お参りするという一大イベントで、将軍は一日目は岩槻城、二日目は古河城、三日目は宇都宮城へ泊まって日光へ向かいました。

 そんな日光社参、家康公の没後400年を記念して、日光社参ウォークが下野新聞社の主催で行われます。実行委員会・後援・協力団体として、宇都宮市、日光市、小山市、下野市、野木町、千代田区、さいたま市、川口市、久喜市、幸手市が上がっていますが、あろうことか古河が抜けています。それを反映してか、今回のウォークの日光街道には、古河宿・古河城の文字が一切ありません。これでは、ウォーク参加者は、栗橋宿の次は中田でも古河でもなく、野木宿だと思うでしょう。
 昨年12月以前の段階で、古河市や観光関係諸団体、商工関係諸団体にお話しは来ていたのですが、モーションはしなかったそうです。

 こんな無関心な状況では、古河の文化が荒廃してしまうのは必然です。そこで本会は社参ウォーク実行委員会と連絡を取り、とあるイベントを計画、本日より始動いたしました。内容は後日改めて内容は詳しくお知らせいたします。

 古河の文字が記されていない、日光街道地図は初めて目にしました。そういった意味ではかなり珍しいと思います。是非下記サイト、ご覧くださいませ。

※イベントが終了したため、サイトは無くなりました。

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