南北朝~戦国初期東国における「陣」について(2015 Facebook記事を修正)

 日本城郭史学会大会「古河公方をめぐる戦と城郭」(2015.4.25・江戸東京博物館)からトピックス紹介です。

 竹井 英文先生の講演「南北朝~戦国初期東国における「陣」について」より。講演内容は、中世・南北朝期から戦国初期の史料に見られる「陣」という用語について。特に杉山城(埼玉県嵐山町)を取り上げます。

 古河公方・足利高基文書のひとつに「椙山之陣以来、相守憲房進退之条、神妙候、恐?謹言」(*1)とあります。毛呂土佐守(顕季)に宛てた軍忠を賞する文書(年不詳九月五日付)です。竹井先生は、一部の専門家から批判を受けながらも「椙山の陣」を【杉山城】と解釈しました。批判は「陣」を城ではなく合戦と解釈すべきというもので、確かに例えば「大坂冬の陣・夏の陣」は合戦という意味です。

 次に複数の史料から「陣」を以下のように整理。
1) 「陣」は軍勢の駐屯地・結集の場。「城」も同様だが、使い分けされており、城は恒常的な拠点、陣は臨時性を帯びる。
2) 「陣」の実態は多様であり、一つ一つを丁寧に見ていくことが必要。「陣」の実態については、発掘調査に拠るところ大。発掘調査が進んだ杉山城(椙山之陣)は、今後の研究にとって重要な事例。
3) 「陣」は南北朝期から戦国時代前期にみられる。後期の北条氏康・氏政、上杉謙信、武田信玄の抗争期にはみられない。軍勢動員や戦闘の様相が変化し、軍忠状・着到状のような軍事関係文書が激減。
4) 「陣」は戦国時代前期・古河公方研究において、戦闘と城郭を史料から分析する際のキーワード。

 「陣」という一語句の解釈が研究テーマになることが新鮮でした。確かに史料分析ですから大事な課題です。

*1: 「足利高基書状写」 『戦国遺文古河公方編』 No.606, 東京堂出版(2006)

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