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古河城主で江戸幕府の大老でもあった土井利勝が亡くなると、長男の利隆が藩主を継ぎました。三男の利長は一万石分与され、四男の利房は一万石分与され後に越前大野藩を興し、五男の利直は正保元年(1644年)五千石を分与されました。
利直は利隆が早々に隠居同然の身となったため、八年もの間、その名代を勤めました。万治元年(1658年)利隆の子の利重が藩主を継ぐ時に再び五千石を分与され、常陸国河内郡、下野国足利郡、武蔵国埼玉郡、下総国岡田郡と葛飾郡を領する一万石の大名として岡田郡大輪村に大輪藩を興し、幕府の奏者番を勤めています。
利直は延宝5年(1677年)に亡くなりました。子供は長男と次男が早世し、残る男児も皆幼少で且つ病弱であるということから、兄・利房の子の利良を養嗣子として迎えようとしたものの、一族に相談せずに願い出たので幕府はこれを認めず断絶となり、大輪藩はわずか20年ほどで廃藩となりました。 ただし、父の利勝の功績を考慮され、五千石の旗本として存続を許されています。
大輪藩陣屋跡は、茨城県常総市大輪町の県道123号土浦坂東線沿いで、鬼怒川の右岸にあります。ここはすぐ東側を鬼怒川が流れる微高地の縁辺にあたり、どことなく古河城の立地と似ています。 この鬼怒川の対岸は、平成27年9月に台風18号の豪雨で大水害にみまわれた地域でして、これまた古河城の渡良瀬川対岸にあたる旧北川辺町と似ています。陣屋跡の現在は民家や畑地となっていますが、陣屋が存在した期間が短いためか、碑なども無いし、地元の人でもほとんど知る人はいないようです。
参考資料 古河郷土史研究会会報第52号「大輪藩と土井利直について」
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