氷川神社(2015 Facebook記事を修正)

 埼玉県さいたま市大宮区にある氷川神社は、武蔵国の一の宮とされています。しかし実は、中世までの一の宮は小野神社で、氷川神社は三の宮であったのが、近世以降に広く信仰を集めたため一の宮を称するようになったそうです。地名の「大宮」は、氷川神社の「大いなる宮」に由来するといわれており、東京・埼玉に約200社ある氷川神社の総本社です。

 創建は今から2000年以上前の第5代孝昭天皇3年とされており、ご祭神は、須佐之男命、大己貴命、稲田姫命の三神です。神社の境内はかつての見沼(江戸時代中期まで存在していた広大な沼)に突き出た鼻のような岬に建立されていて、現在もこの辺りは高鼻町という地名です。

 第13代成務天皇の時代には、出雲族の兄多毛比命が朝廷の命により武蔵国造となり、氷川神社を崇敬しました。この「出雲族が移り住んだ」というのがポイントです。出雲には斐伊川(ひいかわ)という川が流れていて、良質の砂鉄が採れました。「安来節」は「ドジョウ掬い」と言われますが、ザルで砂鉄を掬っていたとも考えられます。古代この砂鉄を原材料として製鉄が営まれました。「たたら製鉄」です。出雲族が関東に移り住んだのと同じ頃に、この製鉄技術が古代の関東にももたらされたのだと推察します。「氷川(ひかわ)神社」の名称は「斐伊川(ひいかわ)」に通じるのではないかと思うのです。その製鉄技術が北関東渡良瀬河畔の古河川戸台遺跡の製鉄・鋳造工場跡に繋がるのではないかと考えます。

 氷川神社は中世以降、源氏、足利氏、北条氏、徳川氏など、武家の崇敬を受けました。武器の製造に必須であった製鉄・鋳造技術を関東にもたらした出雲族に由来する神社であることを考えると、必然なのかもしれません。

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