栗橋城(2014 Facebook記事を修正)

 栗橋城跡は、茨城県五霞町元栗橋128番地付近にあり、権現堂公園1号公園から見ると、権現堂川の対岸になります。

 国道4号線の工業団地入口交差点を曲がり、権現堂川を渡り一つ目の信号を右折、法宣寺を超えてすぐの道路脇に、栗橋城跡の説明板があります。この説明板の脇の小道を入ると城跡で、七曲がりと呼ばれる空堀と土塁が残っていますが、松本様個人の住宅や敷地内ですので、見学する場合には許可を頂いてから入りましょう。

歴史
 足利成氏が鎌倉から古河へ移座した十五世紀中頃に、野田氏により築城されたのではないかとみられています。 永禄年間(1558~1570)、野田氏は北関東に勢力を伸ばす小田原北条氏に屈服し、城は北条氏照の持ち城となりました。豊臣秀吉による小田原征伐の際の、戦いの記録はありません。

 徳川家康の関東移封にともない、この城には小笠原秀政が入りますが、後に秀政は古河城に移り、栗橋城には家臣の犬甘久知を入れました。関ヶ原の戦いの後の慶長6年(1601)、小笠原氏は信州飯田へ転封となり、栗橋城は廃城となったようです。

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