古河公方とは7.乱立する公方たち(2015 Facebook記事を修正)

 「室町~戦国期の公方」関連図を作りました。

京都の【将軍】が公方本家

ここから関東統治のため、将軍・尊氏が【分身】として下向させた【鎌倉公方】とその後継の【古河公方】

さらに東北統治のため、今度は鎌倉公方・満兼が【分身】として下向させた【稲村公方】

しかし世は戦乱。ひとつの権威に皆が従うはずもなく、古河公方【対抗馬】として、上総武田氏らが擁立したのは【小弓公方】

稲村公方【対抗馬】として、犬懸上杉氏が擁立したのは【篠川公方】

享徳の乱で古河公方が京都の将軍と対立した時期、将軍義政が古河公方の【対抗馬】としたのが【堀越公方】

 ちなみに、一番最後まで残っていたのは古河公方です。関東戦国時代の歴史は、まさに古河公方の歴史でもありました。

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