古河公方時代の古河の風景(2015 Facebook記事を修正)

 足利成氏や氏姫が見ていた古河のまちの風景を思うことがあります。

 江戸時代は絵図や研究論文等が比較的多く、今も旧市街の随所に名残があるのでイメージしやすいのですが、中世古河はほとんど情報がありません。江戸時代の初めに町割が大きく変わっており、今とは全く異なることは間違いありません。

 当時の手がかりは、市内寺社に残された由緒、その他の数少ない伝承・史料などです。断片的な情報をジグソーパズルのように組み合わせて、中世古河のまちの風景を形づくることになります。

 そんな研究成果のひとつが、中嶋茂雄氏の「古河城下町の形成と終焉」(『北下総地方誌』、1984年)。添付画像はその抜粋です。30年前の研究なので、その後の情報を反映させたいところですが、今でも大きくは変わりません。

 足利成氏や氏姫、歴代の古河公方が見ていた古河。お城は川と沼に囲まれて、島の中に住んでいるような趣だったのでしょう。西側の川の対岸は向古河村の農村風景。東側の沼の先には寺社が並び、遠くには筑波山。地続きの北側には、江戸時代よりは小さいながらも、にぎやかな町場。そして川には人や荷物を乗せた舟が行き交い、足元に目を移すと、お城の周りには古河府の政庁や家臣の屋敷。

 でも、もっとたくさんの情報が欲しいですね。古河のまちの歴史の宿題でしょうか。

出典 古河城下町の形成と終焉

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