古河の水害と古河城消滅(2016 Facebook記事を修正)

 台風シーズンが来ると、平成27年9月関東・東北豪雨による、水害の記憶を甦らせる人も多いかと思います。利根川水系の流域は水害のメッカで、過去にもたびたび被害が発生しています。

 明治43年の台風による集中豪雨では、新久田付近や立崎付近など渡良瀬川・利根川の各所で堤防が決壊し、旧古河市街(当時は古河町)でも大きな冠水被害がでました(写真A)。この大水害を契機に、渡良瀬川堤防の改修工事が始まり、古河城が消滅するきっかけにもなったのでした。

 写真の位置は大手町・錦町・中央町の境界で、中央に見えるのは古河歴史博物館入口の交差点です(写真B)。この辺りの標高は15~16mくらいで、最大5メートルも浸水する可能性があります。こういった低い所に住んでおられるかたは、危険を再認識して水害に備えて頂きたいです。

 写真Aは水害状況記録として重要ですが、古河城の観音寺曲輪の北側土塁が写っていることでも貴重です(写真C)。写真右側の台地上に城下町があり、城のほうが低い位置になるので、その弱点を補うため高い土塁が築かれていました。冠水のため濠の有無は判らないですが、住宅が無いことから、この時期には残存していた可能性があります。

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