(2015 Facebook記事を修正)
二等三角点は地図を作成する際に必要となる座標点で、一等から四等三角点までで日本全土を網羅することができます。基本的には10km先からでも視認できるように、丘の上など高い場所に設置されるようです。
古河城本丸跡には100年前二等三角点がありました。明治33年の設置で標高は23.9mとあります。
では、正確にどこにあったのか、それの研究はなされていませんでした。その理由には、この記録を国土地理院が管理している上、緯度経度の測地体系の変遷が多く、いちいち計算するのが大変という事があげられるかもしれません。
今回、地図専門指導の資格を持つY会員が一つ一つ計算を試み、正確な座標を計算することができました。結論からいうと、その座標が指し示す場所は古河城弓櫓の櫓台です。明治33年当時、ここが付近で一番標高が高かった可能性がある上に、また測量用の大規模な櫓を組めるスペースがあったことになります。
古河城の本丸土塁高さは、明治末期の渡良瀬川改修の図面と正保城絵図から、標高約20~21mと推測できます。三角点標高値との差がありすぎて、困惑しています。コラム「古河城の三角点」も併せて御覧ください。
前のページに戻る