古河城桜町・小砂町の重臣居宅(2015 Facebook記事を修正)

 古河城内である桜町と小砂町には、古河藩重臣クラスの居宅がありました。

 昭和の中頃までは家老藤懸家、家老小杉家、右筆川久保家が残っていましたが、現在も住んでいらっしゃるのは川久保家のみです。

 川久保家は肥前龍造寺の家臣だった家柄で、土井家が唐津転封の折に召し抱えられたそうです。石高は200石。代々右筆として、土井候の側近くに仕えていました。

 土井家の家臣は川久保家のように肥前出身が多かったために、城内では主に肥前なまりの九州弁が用いられ、対して城下町は当然、古河弁でした。

 維新後の廃藩置県で土井利与公が古河を離れる時、当主川久保伝三郎は長年の忠勤を讃えられ、古河城のした堀全部を拝領しましたが、使い道が分からず、下堀で鴨を飼うことにしました。 ところが、当然なのですが、一晩で鴨は全てどこかへ飛び去ってしまい、一時金を使い果たした伝三郎は、伊賀袋の分家の助けを借りて帰農したそうです。

 いわゆる武士の商法を行った川久保家ですが、戦前の一時、居宅が古河競馬場(戦後の競馬場とは全くの別物です)券売所に使われた時に立ち退いた他は、一貫して現地に住み続けており、土井家古河再入封より250年あまり古河城内に住み続けている数少ない旧家の一つです。

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