(2015 Facebook記事を修正)
廃城から渡良瀬川改修までの古河城を詳しく表した図面としては、明治22年公図と明治44年渡良瀬川筋平面図があります。
明治6年の廃城令で、主要な建物が取り壊された古河城はもぬけの殻になりました。明治22年公図では桜町・小砂町、三ノ丸、二ノ丸、本丸、頼政曲輪に宅地は数えるほどしかなく、ほぼ畑で、堀は水田として利用されています。古河藩の重臣クラスが住んでいた桜町と小砂町では、䕨懸家・小杉家・川久保家が残るのみとなりました。
しかし依然として頼政曲輪には頼政神社が鎮座(公図では神地)し、古河の信仰の拠り所となっていたと思われます。明治44年の渡良瀬川筋平面図本郷柏戸間には、頼政神社の隣に頼政の家来猪早太(いのはやた)を祀る祠も見受けられます。渡良瀬改修で祠は取り壊されましたが、頼政神社本殿は狛犬とともに、現在地(市内錦町)に移築されています。
出典
水戸地方法務局下妻支局
国土交通省関東地方整備局利根川上流河川事務所