(2016 Facebook記事を修正)
市内鴻巣の古河公方公園に隣接する、古河公方の崇敬篤かった虚空蔵菩薩堂の横に、「富士浅間神社」の塚があります。山腹には、稲荷神社の祠があります。「鴻巣の富士塚」と言われるこの小高い丘の説明板に書かれた由来は、次のとおりです。
「室町時代末期に角行という人が世の中の乱れに苦しみ、富士山に登り天下泰平、五穀豊穣の祈願をし、天下が治まった処から富士信仰が起りました。東講の大先達である南沢正兵衛という人が江戸に此の富士信仰を広く布教した。鴻巣の富士塚は模造の富士山で文政14年頃(1831年=天保2年)の構造と考えられている。鴻巣村の小森谷家及び広く浄財を募り築造し、富士浅間神社の祭神を勧請した。東講は富士山信仰の集団、いわゆる富士講の一つ。富士山信仰は、室町末期頃に起り江戸時代中期には非常に盛んになり、江戸をはじめとして、富士講があちこちで結成された。それにともない模造富士も多数築かれ江戸近郊の富士塚は、50有余を数えるに至った。しかし、今に伝わる塚は少ない。ここの富士塚は高さ6m、直径30m、塚は一合目から十合目まであり、原形がよく保存されている。原形保存状態が良好な塚は関東に少ない。」(抜粋)
この富士塚は古墳だという説もありますが、埴輪などの遺物は出土していないようです。
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