徳源院跡(2016 Facebook記事を修正)

 古河公方公園北部の花桃林の一角に、県指定史跡「古河公方足利義氏墓所」がありますが、ここは徳源院跡でもあります。

 徳源院は鎌倉・円覚寺の末寺で、1582年(天正10年)に没した第5代古河公方・足利義氏の開基とされ、永仙院・松月院とともに古河の「足利開基三カ院」の一つに称せられました。しかし近年の研究では、当初は第3代足利高基正室の法号「瑞雲院」を称し、次に第4代足利晴氏正室の「芳春院」、最後に第5代足利義氏の娘・氏女の「徳源院」と改められた、と考えられています。江戸時代後期には無住持の状態が続き、明治初期に廃寺となって、栃木市藤岡町蛭沼・山王寺に合併されました。

 現在の「徳源院跡」には大小2つの石塔が残されていて、石囲いのある小さい方が第5代古河公方・足利義氏の墓碑、大きな方が氏姫と小弓公方・足利頼氏の子・足利義親の墓碑として、茨城県指定文化財となっていますが、小さい方は氏姫の墓碑とも言われています。徳源院跡には、その他にも石塔や石仏が並んでいます。

前のページに戻る