横町・専蔵院と古河の修験寺院(2015 Facebook記事を修正)

 専蔵院は「道白山専蔵院」と呼ばれた本山派の修験寺院です。場所は今の横山町・本成寺参道の北側でした。

 言い伝えによると、古河公方・足利成氏が幼少のころから仕えてきた、筑波別当太夫玄朝という修験憎(山伏)が、足利・鑁阿寺の持仏堂から大日如来尊を勧請し、開山建立したそうです。

 この古河公方ゆかりの専蔵院も、明治になってその歴史を閉じました。古河城下にあった修験寺院のほとんども廃寺となっています。幕末にあった修験寺院として、本山派では、文殊院(城内立崎曲輪)、専蔵院(横町)、千手院(大工町)、大楽院(北新町)。当山派では、覚泉寺(台町)、大鏡院(石町)、長善院(大工町)、龍昌院(南新町)、明宝院(南新町)、持明院(南新町)、源宝院(船渡町)が数えられます。当山派には、鴻巣の宝蔵院、中田新田の明星院、中田町の大善院もあります。ここで紹介した中で、今でも残るのは大善院だけです。

 修験憎(山伏)は、家々の鎮防火・健康・長寿・安産・多福などを祈祷し、人々の生活に密着していました。さらに芸能の導入者であり、演出家であり、医者でもあり、困ったときには何事につけても、庶民の相談役だったと言います。しかし、明治政府による神仏分離令(慶応4年・明治元年) ・修験道廃止令(明治5年)のため、還俗あるいは僧侶・神官への転身を強いられ、多くの修験寺院が廃棄させられました。

 現在の専蔵院・大日堂は、平成7年11月19日に再建された小さな祠です。それでも、専蔵院の歴史をしのぶよすがとなっています。

参考文献
 『古河市史 民俗編』 古河市(昭和58年)
 千賀覚次 『古河史蹟と古河藩のおもかげ』 古河市(昭和30年)
 高橋 三隆 「「専蔵院」そして「古河の山伏修験」その一」 古河郷土史研究会会報 No.40 (2002)
 和歌森太郎 『山伏』(中公新書No.48)(2002年・第3版)

前のページに戻る