(2015 Facebook記事を修正)
旧北川辺町伊賀袋は、かつては伊賀袋村と云い、古河とは地続きであった所です。
ここにある地蔵塚は、小さな土盛りの上に宝篋印塔などの石塔が立ち並んでおり、現地の案内板によると 、立崎の南限の境界とされていたとあります。そして実際にこの塚の南側を、立崎村と伊賀袋村の境界線が通っていました。
古河公方時代の古河城下集落は、南側の立崎にも存在したと推測されていますが、案内板の通りならば、この地蔵塚までが古河城下の範囲であったということになります。現在は渡良瀬川の大堤防により遮られ、古河の一角であったことを想像するのは難しいです。
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