古河の古代と「平将門」(2015 Facebook記事を修正)

 平将門といえば、平安時代に関東で乱を起こし、朝廷に対抗した人物として広く知られています。

 この将門については、昔から『将門記』と呼ばれる軍記物語をもとに、研究が進められています。 歴史学者の内山俊身先生は、この『将門記』を新たに読み解き、平将門の拠点の範囲を見直しました。従来は、今の常総市・坂東市とその周辺に限定されていましたが、実際には古河市や境町を含む広域にわたることになります。

承平7年(937年)、将門が「堀津の渡し」(鬼怒川)で平良兼に敗れたときに逃れた「葦津江」、「陸閑奥之岸」は、どちらも飯沼沿岸(現在の常総市と坂東市の間)とされていましたが、「葦津江」は境町、「陸閑奥之岸」は古河(旧古河市)と解釈できるそうです。

 従って、古河の歴史にも将門が直接的に関わることになります。将門がこの地域を重視した背景を考えると、関東地方・東北地方の新たな古代史像が浮かび上がってくるのです。その中では、川戸台遺跡が大きな意味を持ってきます。

参考 「古河の歴史を歩く」 古河歴史シンポジウム実行委員会(編) 高志書院

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