日光街道中田宿(2015 Facebook記事を修正)

 江戸時代の日光街道は、武蔵国栗橋宿と下総国古河の中田宿の間で、利根川を渡っていました。当時の渡しは「房川(ぼうせん)の渡し」と呼ばれ、宿場に挟まれた場所にあったため、渡船のほかに茶船もあって賑わったようです。天保年間(1800年代半ば)、栗橋宿には404軒、中田宿には69軒の宿がありました。当時の中田宿は、現在の国道4号、利根川橋の下付近の古河市側河川敷(下の写真の場所)にありましたが、利根川の河川改修工事で、街ごと現在地に移転しました。

 中田関所跡には説明板が立っていますが、字はほとんど読めない状態です。内容は、以下のとおりだそうです。

「当地は日光街道で唯一の関所と、渡船場の両方があったところである。利根川のうち、当地と対岸の栗橋の間の流れの部分を「房川(ぼうせん)」とよび、渡船場を房川渡、関所を房川渡中田御関所といった。 しかしその後関所は対岸の栗橋側の水辺に移されたので、一般には「栗橋の関所」の名で知られるようになった。関所は明治2年(1869年)に廃止された。二艘の渡し船と五艘の茶船の渡船場の方は、大正13年(1924年)に利根川橋が完成するまで続けられた。」

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