古河のまちの歴史(2015 Facebook記事を修正)

 古河のまちの歴史には、古河城、古河藩、古河公方など、いろいろなテーマがあります。

 古河城は、平安時代末期の下河辺行平の時代から、そして室町時代の古河公方・足利成氏の時代には、関東地方の中心のひとつとして歴史を刻んだ大きな城です。支城として、栗橋城、関宿城、水海城、騎西城等を従えていました。有名な江戸城や川越城などは、古河城に対抗するために築かれた城です。江戸時代の藩政期にも拡張されます。水戸城、川越城に匹敵する大規模な縄張りの城でした。古河城はどんな城だった?古河のまちの歴史を考えるとき、とても大切なテーマだと思います。

 古河藩は、江戸時代のテーマですが、現代の古河に直結しています。旧古河の町割りが完成したのは、江戸時代の初期。旧市街地を車で走っていると、狭くてクランクが多い複雑な道路に悩まされることがありますが、これはこのときに作られたものです。江戸時代後期には鷹見泉石や土井利位、河口信任に代表される洋学の藩であり、尊皇攘夷が大勢だった当時はかなり特殊な地域でした。そのことは、明治期以降の古河のあゆみにも影響しているかもしれません。また、江戸時代の古河は、日光道中に数ある町の中でも、東京・宇都宮の間で最も大きかったそうです。なぜ当時の古河はこれほど賑わったのだろうかと考えることは、今後の古河のまちを発展させるヒントにもなります。

 古河公方は、第五代鎌倉公方・足利成氏が古河に移座したものです。鎌倉公方は、室町時代の東国、現在の関東地方と東北地方を支配した鎌倉府の長でした。 享徳の乱と呼ばれる大規模な戦乱の中で、足利成氏は鎌倉に替わる新しい東国の都として古河を選びました。このときに古河はまさに日本全体の歴史の舞台となります。まだ学校の教科書では、室町時代・戦国時代は京都とその周辺が中心ですが、歴史研究の最前線にあり、ダイナミックで面白い分野です。

 残念ながら古河のまちの歴史は、古河城を筆頭として、目で見て分かりやすい大規模な史跡が欠けています。古河の歴史の楽しさは、自分で意識して調べないと見つかりません。古河のまちの歴史の楽しさを掘り起こしていきませんか?

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