下間頼廉と磯部勝願寺(2016 Facebook記事を修正)

古河市磯部にある勝願寺の、市指定文化財「勝願寺所蔵中世関連史資料」には、下間頼廉が勝願寺に出した檄文、「下間頼廉奉本願寺御印書」も残っています。

 1570~1580年の大坂石山合戦において本願寺側の元帥として全軍の指揮をして信長を苦しめた武将(坊官)。信長の野望シリーズをプレイしたことのある人なら、恐らく知っている本願寺家の下間頼廉。「鬼島津」島津義弘に匹敵する能力を持つ頼廉に、散々手を焼いたゲーマーも多いのでは!石山合戦後、講和をした本願寺顕如と徹底抗戦を訴える長男教如で争いが起こり、本願寺は二つに割れます。現在の西本願寺と東本願寺のはしりです。

 そんな石山合戦直後1581年、顕如側近であった下間頼廉が、顕如派の一大拠点であった勝願寺に出したのが 「下間頼廉奉本願寺御印書」です。勝願寺門下の信州・越後の寺院が顕如派ではなく、教如派になろうとしている事について「言語同断である」、門下全て顕如派になるよう説得すべしと伝えているお手紙です。

 磯部は今、のどかな農村風景ですが、戦国時代は梁田氏重臣岩瀬氏が居を構えたり、 梁田氏菩提寺安禅寺があったり、あの「下間頼廉」から指示書を賜る勝願寺があったりと、付近の文化・政治の中心地のひとつであったことが伺われます。

参考文献
 コーエーテクモゲームス出版部(2013)信長の野望創造武将FILE
 総和町教育委員会(2003)そうわの文化財9号

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