(2016 Facebook記事を修正)
渡良瀬遊水地にある、谷中湖から見た古河市街地の風景です。古河駅周辺の高層マンションがはっきりと見えます。古河の旧市街地は、渡良瀬川沿いの「川辺のまち」ですが、こうして見ると「湖畔のまち」です。
この谷中湖の場所は、百数十年前まで、たくさんの人が暮らす村でした。1906年(明治39)に廃村になった谷中村、これに反対し続けた田中正造の話は有名です。谷中村に住んでいた人たちは、その後、どうしたのでしょうか? 移転先の集計があります。
古河市 120戸
藤岡町 90戸
野木町 66戸
那須郡・塩谷郡 46戸
板倉町(海老瀬) 33戸
北川辺町 18戸
その他、小山・東京・壬生・北海道など。各々数戸から十数戸。
最大の移転先は、実は古河でした。江戸期の谷中村は古河藩に属し、古河のまちと生活圏を共にしていました。
田中正造は、政治活動で上京する際、古河駅を利用することを常とし、古河町内にも多くの支援者がいました。 明治40年、谷中村の強制立ち退きが始まると、栃木県庁は谷中村打ち壊しの人夫を古河で募集しました。 このとき、当時の古河町長・鷹見銈吾は町民に呼びかけます。「谷中村ブチコワシの人夫に雇わるるなとは云わず、されどこれが募集に応ずる人には立ち退き料を与うる故、古河町より他に移転して貰わん」。 古河では募集に応じる人はいなかったそうです。
ラムサール条約に登録された渡良瀬遊水地は、今後ますます注目されるでしょう。しかし、なぜ人が住まない広大な湿地が、ここに残されているのでしょうか?そして、なぜ遊水地はここに造られたのでしょうか?過去を知ることで、現在、私たちの目の前に広がる何気ない風景に、意味があることに気づかされます。
参考文献
『古河市史 通史編』古河市(昭和63年)
久野 俊彦「谷中村移転村民の伝承―復元・谷中村民俗誌―」『古河歴史博物館紀要 泉石』第7号(2004年)