間中橋と吉田用水(2016 Facebook記事を修正)

 古河市の旧地名31で紹介した間中橋です。地名のもとになった「間中橋」は国道125号の古河市・八千代町境にあり、吉田用水に架かっています。小さな橋で、名前の標示がどこにも見当たりませんが、市町境の橋はここだけなので、多分、間違いないと思います。

 間中橋は、江戸期の享保年間(1716~1735)、飯沼が干拓されたときに架けられました。当時の将軍・徳川吉宗は新田開発を奨励(享保の改革)、飯沼の干拓が始まります。この沼は、古河市・八千代町・坂東市・常総市にまたがり、広大で南北に細長く、北は古河市尾崎付近、南は坂東市大口付近に相当します。干拓工事は享保10年(1725)に始まり、2年後に完了。新しい農地のうち、この付近にあった旧「長左衛門新田」は、野州間中村(小山市間中)の名主・福田長左衛門が購入したところです。「間中橋」はこの間中村から名づけられました。

 橋が架かる吉田用水も、干拓と同時に作られた歴史がある古い水路です。吉田用水は享保10年7月に通水。下野国河内郡吉田村(下野市)で鬼怒川から取水し、結城を経由して、干拓地に農業用水を供給しました。しかし、水量が十分ではなく、村々の間に水争いが起きたり、周囲より低地で排水が悪く、水害に苦しむことも。その後も改良工事が昭和期まで繰り返されました。

参考文献
 『三和町史 通史編 原始・古代・中世』三和町(平成8年)
 『八千代町史 通史編(第二版)』八千代町(昭和63年)
 八千代町歴史民俗博物館編『吉田用水のあゆみ―苦闘の三百年―』八千代町(2015年)

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