(2016 Facebook記事を修正)
古河駅から南に800mほど、住宅地の小さな公園(駅南第一公園)の一角に立派な庚申塔と十九夜塔が一基づつ並んでいます。庚申塔は男性の庚申信仰者、十九夜塔は女性の十九夜観音信仰者が建てたもの。どちらも生活に密着した信仰でした。
これらは昔、立崎村にありました。立崎は古河城があった場所。立崎村は城の南隣で、明治末から大正年間の渡良瀬川改修工事のときに、新しい河道になるため廃村とされ、村民は古河八幡町と隣の伊賀袋村に分かれて移転します。
立崎村には庚申塔が2基、十九夜塔が1基あったそうです。移転のとき、村民は庚申塔を1基づつ分け合い、八幡町には庚申塔と十九夜塔が、それぞれ1基引き取られました。当初は八幡町の東北本線踏切近くの農道にありましたが、やがて周囲に家屋が立ち並ぶようになるとまた移転。現在地に落ち着きました。
庚申塔は天保九年(1838)の造立。青面金剛が腹部に竜頭を巻き、三尸を両足で踏みつけている姿が彫られています。この三尸(さんし)は人間の寿命を縮める虫です。基底部には庚申塔につきものの三猿。 いわゆる「見ざる、言わざる、聞かざる」です。ここの三猿は真ん中の「言わざる」が扇を持っている姿が特徴的。「三九郎(さんくろ)さんの庚申塔」と呼ばれ、親しまれたそうです。
十九夜塔は天保十四年(1843)の造立です。
参考文献 田代房春・秋葉敏子『古河城下の石仏順礼』北下総文化調査会(昭和60年)
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