仁連(2016 Facebook記事を修正)

現在の古河市仁連(にれい/にれ)です。
 仁連は戦国期からの地名です。古くは「仁礼」と称し、第4代古河公方・足利晴氏安堵状写(年未詳11月3日)に「幸嶋荘・・・若林・仁礼両郷」、第5代・足利義氏が田代三喜斎に充てた朱印状(天文22年(1553)12月11日)にも「仁礼郷之事、・・・」と見えます。戦国期は古河公方の御料所でした。
 天正18年(1590)9月20日、豊臣秀吉から山川晴重への知行充行状では「幸島郷之内 二十五貫 仁連」でした。
 江戸期になると、日光東街道(日光関宿通多功道)の宿場として「仁連町」と呼ぶことが許されました。(慶安元年(1648)11月6日)(猿島郡郷土大観)

 ところで、仁連にも宿場によく見られる上町と下町があり、北側に上町、南側に下町が配置されています。
 しかし、別項で取り上げた諸川では南から順に上町・中町(仲町)・下町です。なぜか順序が逆ですが理由は不明です。

小字名
宿場や街道によるものとしては、まず【町並東側】【町並西側】【横町西側】【横町東側】。他にも【小山道西】は小山へ向かう古道から。興味深いのは【奥州道西】。江戸期の日光東街道整備以前から、ここに奥州・東北地方に続く古道があったことを示唆します。【仲山】は近年の研究で、中世の交通・交易活動に関する境界地名とされており、街道に起因した地名と考えられます。なお別説として、奈良時代の僧・行基が故郷の「仲山」に景観が似ているこの地に、仲山観音堂を創設したという伝説もあります。
【大膳屋敷】【門畑】【堂ノ前】【堀ノ内】は、中世に城館あるいは寺院があったことを示唆すると考えられています。
【天神脇】【天神前】は【御辺】の天満宮から。【御辺山】【御辺本田】も天満宮の近く。この場所を「御辺」と呼ぶ理由は分かりませんでしたが、天満宮と関係あるのでしょうか。
他にも古い神社にちなむ地名として、【浅間前】【稲荷台】【稲荷山】【稲荷久保】【稲荷下】【香取】【香取脇】【山王下】【宗前越】(蒼前宮)【太子】【太子前】【太子下】【地蔵前】【榛名後】【弁天山】【弁才天】【鷲宮】【鷲東】【鷲ノ東】とたくさん挙げられます。

参考文献
 竹内理三(編)『角川日本地名大辞典』角川書店(オンライン版)
 竹内理三(編)『角川日本地名大辞典 8 茨城県』角川書店(昭和58年)
 『三和町史 資料編 原始・古代・中世』三和町(平成4年)
 『三和町史 通史編 原始・古代・中世』三和町(平成8年)
 『日光東街道 諸川・仁連・谷貝町』古河市三和資料館(平成24年)
 『茨城県歴史の道調査事業報告書中世編 鎌倉街道と中世の道』 茨城県(平成27年)

地図

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