間中橋(と小山市間中の関係)(2016 Facebook記事を修正)

現在の古河市では最東端の間中橋(まなかばし)について。八千代町との境界付近です。

 平成17年(2005)、合併による新古河市誕生時、他の地域は住居表示や大字名がそのまま引き継がれましたが、間中橋だけは東間中橋・西間中橋・南間中橋・北間中橋と分割されました。理由は「同地区内に同地番が存在していたため」だそうです。

 昭和30年(1955)、長左衛門新田、水口新田、尾崎新田が改名されて、間中橋となりました。住民自ら議会に陳情した改名です。理由は、旧八俣村にも「長左衛門新田」があること、 3村が合併して戸数の多い行政区を作りだすためとのこと。
 新たな地名となった「間中橋」は、吉田用水にかかる橋の名称で、八千代町粕礼との間を結んでいます。これがバス停留所の名称となり、周囲の地名として定着しました。

 古い村名の長左衛門新田は、野州間中村の名主・福田長左衛門が所有者だったことから。間中村は現在の小山市間中で、国道4号線の西堀(若盛)酒造がある粟宮南交差点から思川方面にあります。橋の名前の「間中橋」は、長左衛門の住んでいた村名から名づけられたので、古河の間中橋は小山市の間中を間接的な由来とした地名です。

 同様に水口新田は水口村(八千代町)の持添新田であったことから。尾崎新田も同様に、尾崎村の村講新田だったことによる地名です。

参考文献
 『三和町史 通史編 近現代』三和町(平成13年)
 『三和町史 資料編原始・古代・中世』付図II、三和町(平成4年)
 竹内理三(編)『角川日本地名大辞典』角川書店(オンライン版)
 竹内理三(編)『角川日本地名大辞典 8 茨城県』角川書店(昭和58年)
 伊藤巌『古河史逍遥』(1997)

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