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古河市三和地区(旧三和町)です。
昭和30年(1955)2月11日、幸島(こうじま)村・八俣(やまた)村・名崎(なさき)村の3ヵ村が合併して三和(みわ)村が誕生、 昭和44年(1969)1月1日に町制施行・三和(さんわ)町となりました。
幸島村は、明治22年(1889)4月、諸川(もろかわ)、五部(ごへい/ごへ)、上和田(かみわだ)、諸川新田(もろかわしんでん)、下片田(しもかたた)、大和田(おおわだ)、上片田(かみかたた)、駒込(こまごめ)、新和田(しんわだ)、仁連(にれい/にれ)の各村が合併して成立。新しい村名は、中世の地名「上幸島(かみさしま)」から。
なお、諸川新田は昭和30年(1955)に東諸川と改名、現在の大字名に。その他の古い村名は、そのまま現在の大字名になっています。
八俣村は明治22年、北山田(きたやまた)、山田(やまた)、東山田(ひがしやまた)、谷貝(やがい)、長左衛門新田(ちょうざえもんしんでん)の各村が合併。新しい村名は、古代『倭名類聚鈔(倭名抄)』に見える地名「八俣郷(八侯郷)」から。
山田は「やまた」と読みますが、八俣が語源だから。古い村名は、現在の大字名になっています。
名崎村は明治22年、恩名(おんな)、長左衛門新田(ちょうざえもんしんでん)、江口(えぐち)、尾崎(おさき)、尾崎(村)新田(おさきしんでん)、成田新田(なりたしんでん)、水口(村)新田(みのくちしんでん)の各村が合併。新しい村名は、恩名と尾崎から一文字をとったもの。
なお昭和30年、成田新田は下結城村(今の八千代町)に編入。長左衛門新田、水口新田、尾崎新田は間中橋に改名されました。その他の古い村名は、そのまま現在の大字名です。
参考文献
『三和町史 通史編 近現代』三和町(平成13年)
竹内理三(編)『角川日本地名大辞典』角川書店(オンライン版)