(2016 Facebook記事を修正)
古河市総和地区(旧総和町)です。(資料が少ないため、小字情報など御存知であれば教えて下さい。
昭和30年(1955)3月16日、岡郷(おかごう)村・香取(かとり)村・勝鹿(かつしか)村・桜井(さくらい)村の4ヵ村が 合併して総和村が誕生し、昭和43年(1968)1月1日に町制施行・総和町となりました。「総和」は瑞祥地名のひとつ。総は旧国名「下総」から、和はなごやかにという願いを込めた新しい地名です。
岡郷村は、明治22年(1889)4月、上大野(かみおおの)、稲宮(いなみや)、小堤(こづつみ)、関戸(せきど)の各村が合併して成立。村名は、上大野・稲宮・関戸が古くから「岡郷」と呼ばれたことから。江戸時代は、旧古河藩領の村々のうち、古河城の東側を「岡郷」と称したことが知られています。
香取村は同様に明治22年、釈迦(しゃか)、磯部(いそべ)、上砂井(かみいさごい)、砂井新田(いさごいしんでん)、駒羽根(こまはね)、水海(みずうみ)、前林(まえばやし)の各村が合併して成立。村名は合併前の各村が「香取ノ神ヲ以テ氏神」としていたことから。
勝鹿村は、上辺見(かみへいみ/かみへみ)、下辺見(しもへいみ/しもへみ)、西牛谷(にしうしがや)、大堤(おおつつみ)、東牛谷(ひがしうしがや)、女沼(おなぬま)の各村が、明治22年に合併して成立。新しい村名は地域の古名「勝鹿」を採用したようです。ここは葛飾(勝鹿)郡に属していたので、それが由来でしょうか。
桜井村も、久能(くのう)、下大野(しもおおの)、柳橋(やぎはし)、葛生(かずろう)、高野(こうや)の各村が明治22年に合併して成立。村名は古くからの地名・桜井郷から。桜井郷は戦国時代に見える地名で、ここから五霞町山王までの地域に比定されています。
以上の古い村名は、大字名に引き継がれました。
なお未紹介の大字、丘里は、関戸・小堤・東牛谷の一部を割いて、昭和43年の町制施行時に設けられました。北利根も、釈迦・久能・水海・高野の一部を割き、同時に設けられました。
小字名の由来について、例えば『そうわの伝説』によれば、葛生の【鍋隠(なべかくし)】には、応仁の乱のころ、十一面観音を戦火から守るため、村人が鍋に入れて地中に埋めたという伝説があります。久能の【陣場(ぢんば)】は、平将門が陣を敷いて、東牛谷に布陣した藤原秀郷と対峙したところ。東牛谷の【木ノ下(きのした)】には、弘法大師が榎の下で一休みしたときに、持っていた釈迦如来像をまつったところだそうです。
参考文献
『総和町史 通史編 近代・現代』総和町(平成17年)
『そうわの伝説』総和町(昭和58)
竹内理三(編)『角川日本地名大辞典』角川書店(オンライン版)