古河の由来(2016 Facebook記事を修正)

 古河(コガ)という地名は、有名な奈良時代『万葉集』巻14の「許我」の他にも、『吾妻鏡』養和元年(1181)閏2月23日条(野木宮合戦)に「古我」と見えるので、少なくても平安時代末期からの古い地名でしょう。由来としては、角川日本地名大辞典などにあるように、未開地を意味する「空閑」(クガ)の転訛という説がよく知られています。

 しかし郷土史研究家の鎗水氏は、柳田國男の『地名の研究』を引用しながら、古河は渡津の衝で未開の地ではないので、空閑を起源とするのは不自然とし、芝生や草原を意味する「カガ」の転訛とする仮説を立てました。さらに、古代の古河の地形の特徴を考慮すると、水に囲まれた狭縊な土地であったことから、この仮説も決め手に欠けるとして、もうひとつの仮説を立てます。

 古代の古河は、海が内陸部まで広がってできた奥東京湾に面し、南側には防波堤となる立崎(当時の立崎は長谷から古河城本丸方面に伸びた舌状台地とした)、北側は代官町や田町方面に入江を形成した天然の良港であり、秋季の台風による南東の強風、冬季の西からの強風のときには、風がやむのを待つ舟の停泊地・仮の宿泊場だったと考えました。そうであれば、万葉集に歌われた通り、かりそめの恋の舞台にもなりえます。
 そして、「ほとり」や「水辺」を意味する「滸」と、「さおさす」・「ふねをすすめる」の「找」から、「滸找」(コガ)すなわち「水辺にさおさすところ」という地名が生じ、滸找から「許我」という表記が派生したとしています。

 いずれにしても由来を確定したとは言い難いようです。

参考文献
 鎗水柏翠『古河通史 上巻』柏翠会(昭和61年)
 柳田國男『地名の研究(講談社学術文庫)』講談社(2015)
 竹内理三(編)『角川日本地名大辞典』角川書店(オンライン版)

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