柏戸(加須市北川辺地域)(2015 Facebook記事を修正)

柏戸(かしわど)は向古河と小野袋の間にあり、北側は渡良瀬川に接します。

 柏戸は字義通り「柏の木があるところ」と考えられています。ちなみに「ド」は「場所」の意味をもつ古語。また一説には、「河岸和土」とも。「河岸」は船着き場、「和土」は農村の意味です。この場合は川にちなんだ地名です。

 戦国時代末の天正10年(1582)、第五代古河公方・足利義氏が亡くなり、古河公方領が小田原北条氏に吸収されたとき、家臣だった武士たちのなかに、野木からここに移り住んで、農民となった一団があったそうです。慶長4年(1599)の記録には、新井内直・小倉弥惣右衛門・橋本新兵衛・野本七右衛門・青崎外記・谷田貝主水・ 野口世右衛門・小倉兵庫・鴻野主膳・桜井将監・長谷川藤右衛門・出井数馬・橋本監物・根岸隼人・金井勘解由・金井主税・小沼縫之助・峯岸丹後・持木志摩・茂手木図書・渡辺加賀・川島右近の22名がみられます。なかでも根岸家は、初代古河公方・足利成氏に従って、武蔵国比企郡菅谷村根岸から古河に移り、 当時の根岸道照は、成氏が古河城に移ったあとの鴻巣に住んでいたそうです。

 またこの地名は相撲の世界で有名。江戸時代の寛政期(1789-1800)、大関だった初代柏戸(村衛門)は柏戸村の出身でした。村衛門自身は、のちに伊勢海を襲名しますが、「柏戸」は特別な四股名として現代まで引き継がれています。

 柏戸の小字名としては、【八城(やしろ)】があります。「ヤ」は湿地の意味、「シロ」は丘の上や中腹の平坦地の意味だそうです。

参考文献
 『古河通史 下巻』柏翠会(平成4年
 『北川辺の民俗(一)』北川辺町(1984年)

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