北川辺(加須市)(2015 Facebook記事を修正)

 古河の西隣の北川辺。2010年の合併により、現在は加須市ですが、歴史的には古河とゆかりが深いところです。
 北川辺という地名について、 『新編武蔵風土記稿』によれば、「本郷村は北方郷太田庄と唱ふ」とあり、このあたりは、古くは北方郷と呼ばれていたそうです。
 中世には源頼政が治承四年(1180)に平氏に敗れたのち、渡辺氏が向古河に、平井氏が飯積に入ってきました。
 川の向かいには古河城が目前にあり、古河公方の時代にも、親衛隊として活躍した足河十騎の武士たちが、ここを拠点としています。

 近世・江戸時代になると古河藩ができて、古河領川部(かわべ)と呼ばれるようになりました。本郷・前谷・大曾・駒場・柏戸・向古河・小野袋・柳生・麦倉・飯積の10ヵ村が含まれます。
 元和七年(1621)、利根川の新川通が開削されたため、利根川の右岸になった地域(中・下新井13ヵ村)が向川辺領、左岸が古河領川辺・今の北川辺になります。
 このうち飯積・麦倉・柳生・小野袋は明治22年(1889)に合併して麦倉村、さらに明治26年(1893)に利島(としま)村と名称を改めます。
 また前谷・大曾は明治9年(1893)8月に栄村となります。明治22年には柏戸・向古河・駒場・本郷・小野袋・栄が合併して、川辺村となりました。
 そして昭和30年4月、利島村と川辺村が合併して北川辺村となります。

参考
 『古河通史 下巻』柏翠会(平成4年)
 『北川辺の民俗(一)』北川辺町(1984年)

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