紺屋町・田町(2015 Facebook記事を修正)

紺屋町(こんやまち)は、現在の中央町一丁目の中央東寄り、古河テクノビジネス専門学校(旧市役所)などがある辺りです。

 江戸時代には、ここに紺屋職人がいました。紺屋の仕事は着物などの反物に色や柄を染めることです。テクノビジネス専門学校の敷地も、大正期まであった日野屋(「大紺屋」)の仕事場(乾場)でした。

田町(たまち)は、現在の中央町一丁目の北西、紺屋町の西隣で、隆岩寺などがあります。

 この辺りの地形は谷で、江戸時代初期まで低湿地・水田でしたが、やがて町になりました。町名は水田であったことに由来すると考えられています。谷底には水路が通っており、石町に米を運ぶ舟が往来したそうです。

参考
 『古河通史 下巻』柏翠会(平成4年)
 初出 篠原静男「市内町名由来記」『古河市史料集第一集』
 『古河市史 民俗編』古河市(昭和58年)

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