(2015 Facebook記事を修正)
原町(はらまち)は、現在の原町の台町郵便局付近になります。
旧日光街道(県道261号野木古河線)沿いの町です。元々は原村と呼ばれ、小字元屋敷(現在の古河市医師会館付近)にあったものと考えられています。
天正18年、豊臣秀吉から氏姫に与えられた所領のなかに「・・・・、原下すわの下まで二一四石三斗、・・」とあり、戦国時代にさかのぼる地名でした。
城主・土井利勝の頃、日光街道沿いに移転・古河城下に組み入れられて、原町になりました。そうした経緯から、古河の総鎮守である雀神社とは別に、独自に町内鎮守の羽黒神社を持っていました。江戸時代の古河は、古河町・原町・悪戸新田の三ヶ町で構成されていたのです。
古河宿の南側入口であったことから、木戸が設けられ、足軽の鴻巣組が置かれました。
原の由来は分かりません。「野地が多い場所で、自然と住民に呼称されていたもの」と考えられています。足軽鴻巣組は、小字鴻巣町(羽黒神社入口前付近)にあったと推定されます。
台町(だいまち)は、現在の長谷町の消防団第一分団付近になります。
本町三丁目の西~南側を通る旧日光街道(県道261号野木古河線)沿いの町です。原村が移転された頃、台町には長谷村の住人を移して町を拡張しました。
町名は、ここが城下の入口を意味する「台」であったことに由来する、という説もありますが真偽不明です。
参考
『古河通史 下巻』柏翠会(平成4年)
初出 篠原静男「市内町名由来記」『古河市史料集第一集』)