一丁目・二丁目(2015 Facebook記事を修正)

現在の中央町一~三丁目と本町一~二丁目の境界付近で、旧日光街道(県道261号野木古河線)沿いの町。

 江戸時代の古河城下・古河宿の中心は、日光街道に面した通町と呼ばれた町屋で、南から台町・一丁目・二丁目・横町がありました。通町のなかで、その中心となった所を2つに分けたものが、一丁目、二丁目です。

 二丁目は、今では古河駅から西に直進した突き当り、常陽銀行付近からその北側に伸びた通りに相当しますが、本陣や高札場、脇本陣が集まっていました。また、城下で最大の商家とされた丸山儀左衛門、そして、神宮寺、尊勝院も二丁目です。

 ちなみに、三丁目・四丁目・五丁目も存在していましたが、こちらは比較的新しい町名です。昭和13年(1938)、神宮寺・尊勝院の間から、横町東側の空地を通って、今の松並町に抜ける道路(通称三丁目通り)がつくられて生まれた町で、江戸時代にはありませんでした。一丁目・二丁目の延長として、名付けられたものでしょう。

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