(2015 Facebook記事を修正)
鍛治町(かじまち)、現在は本町一丁目。
旧日光街道(県道261号野木古河線)から東に向かう、県道294号東野田古河線(通称鍛治町通り)沿いの町です。 近年、拡幅・歩道整備され、市の文化財・日光街道道標もこの交差点に移されました。みらい蔵や富岡蔵、宝輪寺がここにあります。
江戸時代初期、城主・奥平忠昌は、野木神社南方の台手函にいた21軒の鍛冶屋を、城下町の東端に移住させました。古河は冬になると西風が強くなることから、火事に備えて、火を使う鍛冶職人は城下の東端に配置されたそうです。なお、鍛冶職人というのは、鉄の刃物や農具・工具を作る人たちです。
江戸時代の中頃には、鍛冶屋は姿を消し、商人の町に変わっていきました。
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