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かつて古河公方が拠り東都と謳われた古都・古河。
この歴史あふれる古河をもっともっと楽しんじゃおう!!という団体です。

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古河史楽会
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松月院跡

投稿2016/2/29


 古河公方公園(古河総合公園)から西の渡良瀬川方向へ約400m離れた場所に、「松月院跡」の塚があります。「御所塚」というこの塚は、戦国時代末期、古河公方縁の寺院だった「松月院」の一角にありました。


 松月院の開基は、第3代古河公方・足利高基の没年1535年(天文4年)頃とされ、鎌倉・円覚寺の末寺です。


 第5代古河公方・足利義氏が嫡男なく没した後、義氏の娘・氏姫は、豊臣秀吉の指示により、小弓公方・足利頼氏に嫁しました。足利頼氏は後に下野国喜連川に所領を得ましたが、氏姫とその子・義親は、鴻巣御所(現在の古河公方公園内)に住み続けました。義親は榊原康政の娘を正室とし、2人の間に尊信が生まれましたが、翌1619年(元和5年)に義親の正室は亡くなったため、氏姫の計らいによって本院に葬られ、この時期に義親の正室の法号「松月院」に改称されたそうです。


 松月院は古河市内の永仙院 ・徳源院とともに、古河の「足利開基三ヵ院」と称されていましたが、江戸時代後期には他の二ヵ院同様に無住持の状態が続き、明治初期には廃寺となって、栃木市藤岡町蛭沼・山王寺に合併されました。


 現在、「松月院御所塚」は小さな公園として整備されています。今年春の「桃まつり」にお出かけの際、少し足を延ばして訪れてみてはいかがでしょうか。