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かつて古河公方が拠り東都と謳われた古都・古河。
この歴史あふれる古河をもっともっと楽しんじゃおう!!という団体です。

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古河史楽会
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横町・専蔵院と古河の修験寺院

投稿2015/11/22


 先日11/16の投稿「左筑波」では、 『古河史蹟と古河藩のおもかげ』からの引用文中に、本成寺と専蔵院が出てきました。このうち本成寺は有名ですが、専蔵院はあまり知られていません。


 専蔵院は「道白山専蔵院」と呼ばれた本山派の修験寺院です。場所は今の横山町・本成寺参道の北側でした。

 言い伝えによると、古河公方・足利成氏が幼少のころから仕えてきた筑波別当太夫玄朝という修験憎(山伏)が、足利・鑁阿寺の持仏堂から大日如来尊を勧請して開山建立。成氏が古河に移座したころですから、室町時代から戦国時代に移る頃のことです。

 『古河公方関東戦国史』に登場する玄朝は、結城合戦で結城方の軍監(軍師)として活躍。結城勢が幕府軍に敗れたときは、幼い成氏の逃走を助けました。


 この古河公方ゆかりの専蔵院も、明治のはじめにその歴史を閉じました。実はこのとき、古河城下にあった修験寺院のほとんどが廃寺となっています。幕末にあった修験寺院として、本山派では、文殊院(城内立崎曲輪)、専蔵院(横町)、千手院(大工町)、大楽院(北新町)。当山派では、覚泉寺(台町)、大鏡院(石町)、長善院(大工町)、龍昌院(南新町)、明宝院(南新町)、持明院(南新町)、源宝院(船渡町)が数えられます。当山派には、鴻巣の宝蔵院、中田新田の明星院、中田町の大善院もあります。ここで紹介したなかで、今でも残るのは大善院だけです。


 修験憎(山伏)は、家々の鎮防火・健康・長寿・安産・多福などを祈祷し、人々の生活に密着していました。さらに芸能の導入者であり、演出家であり、医者でもあり、困ったときには何事につけても、庶民の相談役だったと言います。しかし、明治政府による神仏分離令(慶応4年・明治元年) ・修験道廃止令(明治5年)のため、還俗あるいは僧侶・神官への転身を強いられ、多くの修験寺院が廃棄させられました。このとき、古河の町の風景も大きく変わったことでしょう。


 横町(横山町)の専蔵院・大日堂は、平成7年11月19日に再建された小さな祠です。それでも、専蔵院の歴史をしのぶよすがとなっています。


参考文献

『古河市史 民俗編』 古河市(昭和58年)

千賀覚次 『古河史蹟と古河藩のおもかげ』 古河市(昭和30年)

菅谷武一 『古河公方関東戦国史』(昭和56年)

高橋 三隆 「「専蔵院」そして「古河の山伏修験」その一」 古河郷土史研究会会報 No.40 (2002)

和歌森太郎 『山伏』(中公新書No.48)(2002年・第3版)

専蔵院・大日堂