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かつて古河公方が拠り東都と謳われた古都・古河。
この歴史あふれる古河をもっともっと楽しんじゃおう!!という団体です。

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古河史楽会
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奥東京湾の貝塚

投稿2015/1/10


いまから6000年くらい前、渡良瀬遊水地周辺は古東京湾の最奥部でした。

貝塚が存在することから分かること

①貝塚が存在する場所は海辺の影響を受ける場所であった。

②縄文人の人工遺跡の為、集落が存在した。数が多ければ多いほど大規模集落であった事になる。

③貝塚が現存する場所は海辺ではあるが海没していない土地である=台地(地震に非常に強い堅牢な土地)


まとめると貝塚=海辺で古代人が生活をした土地で災害に強い場所、ということになります。


古河総合公園周辺には驚くほどの貝塚が集中しており、大規模集落があったと想像されます。

これからは推定の域を脱しないが、大規模集落が弥生時代後期まで存続したとすれば、その集落の領主の墓が風光明媚な頼政郭古墳に祭られていた可能性があるのです。

また、これも地理屋の空想の域を脱しないけれども、古河公方館跡などの鹿角状谷に囲まれた舌状台地には数多くの古墳が未だ眠っているかもしれませんね。

総合公園を散策していて埴輪の一部(土で作った壺の一部)のような物を発見したら大発見かもしれません。(あくまで推定にすぎませんが古河公方館跡の地図を見ていると古墳にしか見えないのは気のせいか?)


古河にはロマンと可能性がいっぱいです。


出典

地域研究からみた縄文海進像 P58に加筆

古東京湾図