投稿2015/12/3
今晩は野木町・野木神社の提灯竿もみ祭りでした。
古河も、もうすぐ(12/5)ですね。
お祭りの雰囲気がよく分かる写真が投稿されていましたので、シェアさせていただきました。
また以下の文章は、昨年12/6投稿の再掲です。
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みなさんご存じの通り、お帰り(提灯もみ)は、野木町にある野木神社の神事にともなうお祭りです。なぜ古河でやるの?と思ったことはありませんか。いまでは野木町でも別におまつりをしているので、市外から来た人には、まるで古河と野木の仲が悪いように見えるかも。
先日偶然に古河図書館で手にした本に、理由が書いてあったので紹介します。
江戸時代は野木も古河藩の一部だったので、古河の町の人が野木に行ってお祭りしていたそうです。ところが、明治4年の廃藩置県で茨城県と栃木県に分けられ、野木に行かなくなった、とは言うものの、じっとしていられない古河の人たちは町の中で提灯竿を持って揉み歩くようになり、自然と一番の繁華街だった横町に集まってきたそうです。そのころは300本もの竿が出ていて、まち全体が灯の海でした。しかし、明治41年頃に電灯線が張り巡らされるようになって中断。その後、大正8年に再開した後は、競技的なお祭りになりました。
現在、隣町のお祭りを古河でやっているように見えるのは、昔の古河が県境により引き裂かれたことが理由でした。古河と野木の仲が悪いわけではありません。
参考にしたのは、中川保雄 『古河古老聞き書き』、昭和63年、P.64~およびP.129~です。 |