投稿2015/8/19
日光社参は将軍がご先祖様である徳川家康廟がある日光へお参りに行くという江戸時代の一大イベントでした。
将軍は一日目は岩槻城へ、二日目は古河城へ、三日目は宇都宮城へ泊まり日光へ。帰りも同じ道程です。
そう、古河城は日光社参で将軍が泊まる宿城「やどじろ」という重要拠点だったのです。
さて、そんな日光社参、家康公が1616年4月に亡くなって400年を記念して日光社参ウォークが下野新聞社の主催で行われます。
実行委員会・後援・協力団体として
栃木県、宇都宮市、日光市、小山市、下野市、野木町、 東京都千代田区、埼玉県さいたま市、川口市、久喜市、幸手市 が上がっています。
ですが、あろうことか古河がすっぽり抜けています。
それを反映してか、今回の日光社参ウォークの日光街道には古河宿・古河城の文字が一切ありません。
間違いなく、日光社参ウォークに参加された方は栗橋宿の次は中田でも古河でもなく野木宿があったんだと思うでしょう。
ともすれば、将来本当に古河が日光街道から抜かされてしまう可能性があるかもしれません。
ちなみに昨年12月以前の段階で、古河市や観光関係諸団体、商工関係諸団体にお話しは来ていたのですが、モーションはしなかったそうです。
こんな状況では古河の文化が荒廃してしまうのは必然です。
そこで古河史楽会はすでに社参ウォーク実行委員会と連絡を取り、とあるイベントを計画、本日より始動いたしました。
内容は後日改めて内容は詳しくお知らせいたします。
私も古河の文字が記されていない日光街道略地図を初めて拝見いたしました。
そういった意味ではかなり珍しいと思います。
是非下記サイト、ご覧くださいませ。
(サイトは無くなりました。) |