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かつて古河公方が拠り東都と謳われた古都・古河。
この歴史あふれる古河をもっともっと楽しんじゃおう!!という団体です。

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古河史楽会
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古河公方とは・その1《鎌倉から古河へ》

投稿2015/3/4


古河史楽会では、よく古河公方の話題を取りあげています。


それだけ面白いテーマだからですが、「そもそも古河公方って何?」という人、いませんか?


古河公方は、室町時代にいた鎌倉公方の後継者です。

第5代鎌倉公方・足利成氏は、享徳の乱という大きな戦乱が始まったとき、鎌倉を捨てて古河に移り、初代古河公方となります。享徳 4 年(1455)のことです。


ここで出てきた鎌倉公方は鎌倉府の長。京都に室町幕府を作った足利尊氏は、鎌倉にも幕府のコピー・鎌倉府を作りました。京都の将軍には鎌倉公方が相当し、管領には関東管領が相当します。評定衆・侍所・政所という機関も両方にありました。


尊氏の目的は、京都から遠く離れた東国をしっかりと掌握すること。実子・基氏を鎌倉公方に定め、自らの分身として、東国を統治することを期待します。


しかし、代を重ねるごとに京都と鎌倉は疎遠になり、やがて相争うことになります。永享10年(1438)の永享の乱、同12年の結城合戦と戦乱が続き、享徳 3 年(1454)に始まる享徳の乱では、ついに鎌倉府が完全に崩壊。足利成氏は古河に古河府を設け、関東地方は戦国時代に突入するのです。


古河公方の歴史は関東の戦国時代そのもの。そして、古河公方を知ることは、古河と鎌倉、京都の間に生まれた歴史物語に触れることでもあります。


みなさんも古河公方について、これはなに? これはなぜ? と思うことがあれば、気軽にコメントしてください。いっしょに考えてみませんか?