投稿2015/8/16
古河公方ゆかりの社寺・その3
旧北川辺町伊賀袋にある富士浅間神社は、源頼朝の開催した富士の巻狩りに参加した下河辺行平により、富士山本宮浅間大社から勧請されたと伝わっています。
古河公方時代には向古河の真光寺の管下となり、災害が続いた際に公方の命により祈願が真光寺住職により行われたようです。
また、後に小笠原秀政の奥方の病気平癒の祈願も行われました。
この伊賀袋という地は新田氏の一族の江田伊賀守政氏が延元の乱で足利尊氏軍に敗れた後、隠れ住んだ場所とされます。 伊賀守の受領名からそれまで袋と呼ばれていたのが伊賀袋になったと云われています。 この江田氏が富士浅間神社の神官を務めたそうです。
投稿2015/8/15
古河公方ゆかりの社寺・その2
旧北川辺町にも古河公方ゆかりの社寺がありました。 正観山真光寺(真光院)は創建は不明ですが、足利成氏により再興されたと伝えられています。 渡良瀬川を隔てた対岸の古河城(公方御所)と極めて近い場所にあり、重要な寺であったと思われます。 本堂・客殿は公方居所を移したものとの伝承があり、公方寄進の水盤や不動石と呼ばれる石もあったそうですが、度々の水害で廃寺となってしまいました。 現在は北川辺東小学校の北側に小さな墓地だけが残っています。 公方寄進の石などは行方不明です。
投稿2015/7/19
古河公方ゆかりの社寺・その1
古河市内には古河公方ゆかりの社寺がたくさんありますが、そのなかで特に「永仙院」「松月院」「徳源院」は公方開基による三ヶ院と呼ばれていました。 しかし三ヶ院とも無住のため明治初期に廃寺となってしまい、栃木市藤岡町蛭沼の山王寺に合併されました。
この山王寺というお寺は慈覚大師(円仁)開基とも伝わる古寺で、山王寺大桝塚古墳という前方後方墳上に立地していましたが、昭和26年に焼失してしました。 山王寺には古河公方ゆかりの位牌が多数あったそうですが(多分古河三ヶ院から移されたもの)、残念ながらお寺とともに灰燼に帰したもの思われます。
現在は水田の中に古墳と小さな墓地が残るのみです。
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