投稿2015/9/14
茨城・栃木・宮城を蹂躙した台風18号。
川の水面も7m以上上昇し、標高18m代まで水が上がったことになります。
古河城跡である渡良瀬川河川敷も当然水底です。
そんな古河城、有名な話ではありますが洪水マニュアルがありました。
おおまかには、
水位が1丈2尺(約3.6m)まで上昇したら船奉行は1尺増水するごとに報告してください。1丈3尺(3.9m)になったら高台である出城に避難する準備をしましょう、1丈5尺(約4.5m)上昇したら拍子木をカンカンならしますので統治者の証である御朱印等を出城へ移動し、みなさんも避難しましょうという内容です。
以下、出水時対応の御触れです。
諸御触記(明和二年~寛政一三年まで)
明和五年六月一六日
一 出水之節
一 一丈二尺?(より)五尺まで 役所ならびに御城内水附候注進、但一丈三尺にて退用意
一 一丈三尺?五尺まで 外ヶ輪水附注進、但一丈三尺にて退用意
一 壱丈五尺?余は注進無之候
右町奉行定受
一 御城に船入り置き候儀は、一丈三尺?見斗、差出置き申候
一 只今迄一丈之注進斗申達候得共、巳後は相止、
右船奉行
一 一丈五尺にて御城内外水付、早拍子木、
一 一丈五尺より館野庄蔵出役、
一 諸々仕向之儀は一丈三尺?、
一 御家老中に注進之儀、一丈二尺?は町奉行所?一尺々々注進御座候付、役所?其段不申上候、御水宿に御退被成上候上は、町奉行より注進次第、水の増減役所?可申上候事、
右出水之節、是迄一丈三尺にて水附候面々、水宿に退候様、未年被 仰出候得共、大概水出之模様何も馴候故、先御代一丈五尺にて退候段、巳来一丈五尺にて退候ても不苦候段、館野庄蔵申聞候付、御家老中御申達候処、其通相改候様被仰聞、御朱印並びに御道具御馬之儀、御広間大納戸馬役に申渡し、水附候は、一丈三尺に退用意町奉行?為知、一丈五尺に相ならば、早拍子木為打候間、其節水宿に退く様廻状にて申触候
参考文献 古河市史編纂委員会(1984):「古河市史 資料近世編(藩政)」古河市 319-320
|