コンテンツメニュー

史楽会概要

史楽会四方山話

ギャラリー

データベース

入会方法

お問い合わせ

サイトポリシー

かつて古河公方が拠り東都と謳われた古都・古河。
この歴史あふれる古河をもっともっと楽しんじゃおう!!という団体です。

f
古河史楽会
facebook

古河城桜町曲輪の重臣居宅

投稿2015/2/1


古河城桜町曲輪には古河藩重臣クラスの居宅がありました。

昭和の中頃までは家老藤懸家、家老小杉家、右筆川久保家が残っていましたが現在も住んでいらっしゃるのは川久保家のみです。


川久保家は肥前龍造寺の家臣だった家柄で土井家が唐津転封の折、召し抱えられたそうです。

石高は200石。代々右筆として土井候の側近くに仕えていました。


土井家の家臣は川久保家のように肥前出身が多かったために、城内では主に肥前なまりの九州弁が用いられ、城下町は当然、古河弁でした。


維新後の廃藩置県で土井利与公が古河を離れる時、当主川久保伝三郎は長年の忠勤を讃えられ、古河城のした堀全部を拝領しましたが、使い道が分からず、した堀で鴨を飼うことにしました。

ところが、当然なのですが、一晩で鴨は全てどこかへ飛び去ってしまい、一時金を使い果たした伝三郎は、伊賀袋の分家の助けを借りて帰農したそうです。


お茶目な川久保家ですが戦前の一時、居宅が古河競馬場(戦後の競馬場とは全くの別物です)券売所に使われた時に立ち退いた他は一貫して現地に住み続けており、土井家古河再転封より250年あまり古河城内に住み続けている数少ない旧家の一つです。

川久保家