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かつて古河公方が拠り東都と謳われた古都・古河。
この歴史あふれる古河をもっともっと楽しんじゃおう!!という団体です。

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古河史楽会
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廃城後の古河城

投稿2015/1/24


廃城から渡良瀬川改修までの古河城を詳しく著した図面としては明治22年公図と明治44年渡良瀬川筋平面図が知られています。


明治6年の廃城令で、主要な建物が取り壊された古河城はもぬけのからになりました。

明治22年公図では桜町曲輪、三の丸、二の丸、本丸、頼政曲輪に宅地は数えるほどしかなく、ほぼ畑、堀は水田として利用されています。


古河藩の重臣クラスが住んでいた桜町曲輪では、藤掛家・小杉家・川久保家が残るのみとなりました。


しかし依然として頼政曲輪には頼政神社が鎮座(公図では神地)し、古河の信仰の拠り所となっていたと思われます。

明治44年の渡良瀬川筋平面図本郷柏戸間には頼政神社の隣に源三位家来猪早太(いのはやた)を祀る祠も見受けられます。

渡良瀬改修で祠は取り壊されましたが、頼政神社本殿は狛犬とともに現在地に移築されています。


もし古河城跡が残っていれば国指定史跡は間違いない城跡だったんですけどね(>_<)残念!!


出典

水戸地方法務局下妻支局

国土交通省関東地方整備局利根川上流河川事務所

明治22年公図 明治44年渡良瀬川川筋平面図