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かつて古河公方が拠り東都と謳われた古都・古河。
この歴史あふれる古河をもっともっと楽しんじゃおう!!という団体です。

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古河史楽会
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永井寺

投稿2015/2/11


今日のランニングは雀神社、渡良瀬遊水地、三国橋、そして永井寺の約17キロコースでした(永井寺は古河駅から徒歩15分程度です)。


なぜ永井寺にわざわざ立ち寄ったかというと古河藩主:永井直勝公の御墓参りをしたくなったからです。


最近、徳川家康の伊賀越(本能寺の変時、家康は家臣と大阪を遊覧していて、伊賀を通って三河まで脱出する話)について触れる機会があり、その時、家康と共に34名の家臣が共にいたのですが、この34名の中に永井直勝の名前もありました。うっ?永井って...あの古河の永井か?と思って調べましたが凄い武将だったんですね。恐れ多くてお参りしてしまいました。


永井直勝公のポイント

①松平信康、家康に仕えた。

②家康とともに伊賀越をした。

③小牧長久手で池田恒興を討ち取った。

④関ヶ原、大阪冬夏の陣で功を挙げた。

⑤子孫に永井荷風、三島由紀夫等がいる。

⑥叔父さんが永田徳本(トクホン)


私が驚いたのは③の小牧長久手の戦いで豊臣方の大将・池田恒興を討ち取った人物が古河にいたということです。池田恒興を討ち取ったことで徳川方の勝利が決まったと言っても過言ではないかと思います。池田恒興は織田方の重臣で、後に秀吉の配下に入ります。信長亡き織田家の跡目を決めるための清州会議(参加者:羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興)に参加したほどの重臣です(三谷幸喜の「清州会議」では佐藤浩市が演じました。信長協奏曲では向井理が演じていました)。配役からも重要人物であったことがわかると思います。また、姫路宰相のお父上になります。


古河藩主というと土井利勝公か利位公のイメージが強いですが、永井直勝公も負けていませんね。[猛将 永井直勝」ですね。


永井寺は、直勝の墳墓、宝篋印塔、老中永井尚政等の供養塔、林羅山の顕彰碑、小山霞外の墓所等、色々あります。


お散歩しながら立ち寄って見てください。

永井寺(その1) 永井寺(その2) 永井寺(その3)
永井寺(その4) 永井寺(その5)