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かつて古河公方が拠り東都と謳われた古都・古河。
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古河史楽会
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東京新聞掲載

東京新聞に古河城本丸跡説明板設置プロジェクトについて掲載(2015/3/8朝刊)していただきました。


以下、掲載された記事です。


「古河城の歴史、説明板で発信 明治初期の写真、CG再現図も

古河市内の歴史の研究に取り組む市民グループ「古河史楽(しがく)会」は、古河藩の拠点だった古河城の歴史を紹介する説明板を制作した。市内が観光客などで最もにぎわう古河桃まつり(20日〜4月5日)に合わせ、かつて城があった渡良瀬川の堤防に設置する。グループでは「古河城は名城としても知られていた。地元の誇りを発信していきたい」としている。(原田拓哉)


平安から鎌倉時代の築城と伝わる古河城は、江戸初期に大老土井利勝が三層四階造りの「御三階櫓(やぐら)」と呼ばれる天守閣を整備した。増改築が繰り返され、城郭は南北一・八キロ、東西〇・五キロに及び、北関東でも最大級とされていた。


明治時代の廃城令で、天守閣が取り壊され、さらに、渡良瀬川の上流で足尾鉱毒事件が発生したことで、下流でも治水工事が行われ、残っていた堀、土塁など城跡は堤防の下に沈んだ。今は、堤防に天守閣跡を示す木製のくいが一本建てられているだけだ。


説明板(九十センチ四方)は二枚制作。一枚は、こうした歴史とともに、取り壊し前の明治三(一八七〇)年に撮影された写真や治水工事のため、最新の測量技術を導入して作製した図面を紹介。図面には、天守閣があった場所や標高なども細かく記されている。


もう一枚には、図面などの標高データをもとに、現在地での「バーチャル古河城」をコンピューターグラフィックスで再現。渡良瀬川に架かる新三国橋、さらに遠く富士山の稜線(りょうせん)をバックに、現代によみがえった白亜の古河城の絵などがある。


木製くいに隣接して設置される説明板は、三月二十一日から四月五日までの期間限定。古河総合公園で開かれる古河桃まつりでは、会場から市内に流れる観光客も多く、渡良瀬川の堤防も散策コースとして紹介されている。


古河史楽会の山田直弘会長は(34)は「古河城があった場所を知らない市民も多い。この機会に地元の歴史を再認識してもらえたら」と、説明板を見に来てほしいと呼び掛けている。」


※東京新聞の許可を得て紙面を掲載しています。

  (紙面画像の二次利用禁止)

東京新聞(2015/3/8朝刊)
(2015/4/1ホームページ掲載)