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かつて古河公方が拠り東都と謳われた古都・古河。
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古河史楽会
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鎌倉期の足利成氏御座所について

投稿2015/4/29


4月25日、史楽会メンバー6人で、日本城郭史学会大会「古河公方をめぐる戦と城郭」(江戸東京博物館)に参加しました。

当日の講演の中から、伊藤一美先生「古河公方の成立をめぐって - 足利成氏の目ざしたもの -」をもとに、以前からの関心事だった鎌倉期の足利成氏御座所についてまとめます。


伊藤先生は、享徳の乱以前、古河公方となる前の第5代鎌倉公方・足利成氏の御座所について考察し、鎌倉→江ノ島→津久井桐谷→鎌倉(西御門)と整理しました。

このうち江ノ島は岩本坊(現在の岩本楼旅館)と推定します。

桐谷は従来、鎌倉桐谷(材木座・経師谷の東側)とされていましたが、伊藤先生は、津久井桐谷(相模原市緑区・光明寺、寺の背後が字桐谷)とする新たな見方を示されました。


なお、最初の鎌倉については、先生は言及されていませんでしたが、当会 I 君が見つけた鎌倉市史の解説によれば、『鎌倉大草紙』、『鎌倉大日記』から足跡をたどれます。


以上をまとめると以下の通りになります。


【成氏鎌倉帰還】

→鎌倉・浄智寺 『鎌倉大草紙』、『鎌倉大日記』 (宝徳元年(1449) 秋、あるいは文安四年(1447))

→鎌倉・新御所(位置不明) 『『鎌倉大草紙』 (同年十一月晦日)

→江ノ島 『鎌倉大草紙』、『鎌倉大日記』など (岩本坊と推定・宝徳二年(1450))

→桐谷 『喜連川判鑑』 (鎌倉・材木座あるいは津久井桐谷)

→鎌倉・西御門 「上杉憲忠書状」(6100号喜連川文書) (伊藤先生は宝徳四年八月七日と推定)

→【享徳三年(1454) 十二月二十七日享徳の乱始まる・翌四年、成氏は古河に移座】


成氏の鎌倉時代は 5〜7 年程度。決して長くはありませんが、この時期は成氏の人生を決定しました。今回の講演で、伊藤先生は多くの史料から当時の成氏の思いを考察。ここで紹介しきれなかった興味深いお話がたくさんありました。機会があれば後日、紹介します。