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かつて古河公方が拠り東都と謳われた古都・古河。
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古河史楽会
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川戸台遺跡が語る古代の古河

投稿2015/2/22


5年前の新聞に川戸台遺跡の記事が掲載されました。

例えば2010/3/10の東京新聞は「国内最大級の製鉄作業場か 古河・牧野地川戸台遺跡」、

同日の毎日新聞は「川戸台遺跡:大量の鋳型破片、出土国内最大級の製鉄遺跡か−−古河/茨城」となっています。

遺跡の場所は古河総合公園のすぐ西隣。当時はかなり注目されましたが、今は埋め戻されて道路と空地になっています。


実はこのとき発掘調査が行われたのはごく一部で、遺跡の全体像はまだ解明されていません。面積400平方メートルを掘っただけで、4,500kgもの製鉄関連遺物が出土し、その密度の高さなどから日本最大級規模と推定されました。


この遺跡には様々な可能性が埋まっています。古代日本史の中で、古河地域が大きな存在感を得て、私たち自身の地域に対する見方が変わるとともに、日本全国の歴史好きな人にとっても、注目すべき情報発信源のひとつになるかもしれません。


川戸台遺跡が語るのは、古代における関東地方と東北地方の接点・古河の姿です。


ひとつは、8-9世紀の律令国家による「征夷事業」。

出土品から工房が稼働したと推定される時期は8-10世紀。これは「征夷事業」が活発だった8-9世紀と一致します。このとき、関東地方から多くの兵士や武器・食糧が東北地方に送られたことが知られています。

そして、川戸台遺跡から出土した鉄鍋と、陸奥・多賀城、出羽・秋田城で出土した鉄鍋との共通性が指摘されました。

このことは、京都の朝廷による東北地方征服戦争の中で、古河地域が物資を補給する兵站基地とされた可能性を示しています。


もうひとつは、10世紀に起きた平将門の乱。

高橋修先生は、乱の遠因になった平将門と平良兼の「女論」(『将門略記』)について考察し、良兼の娘を妻とした将門が、「女婿」の立場から下総介・良兼が持っていた猿島郡・豊田郡権益を要求して起きた争いと考えました。

将門の父・良持(良将)は鎮守府将軍だった人物で、将門自身も奥州(東北地方)と深い関係を持っていました。将門は「関東の人や物を集約して奥州に送る結節点となる猿島郡(含古河地域)」が何としてでも欲しかった。しかし良兼にとっては、上総・下総から常陸・下野に及ぶ勢力圏が中央で分断されるため、容認できなかったのです。


川戸台遺跡の発掘がさらに進めば、征夷事業や平将門との関わりを具体的に示す新たな遺跡・遺物が発見される可能性があります。また工房の大きさや生産規模など、遺跡の全体像が明確になれば、推定だった「国内最大級」という評価が正しく位置づけられます。全国的にも魅力的な史跡になるはずです。


参考文献

市村 高男 「歴史を見る目、地域を見る目」

内山 俊身 「『将門記』に見える古代東国の物流と陸奥」

高橋 修 「平将門の乱研究の現在」

新堀 哲 「緊急調査 古河川戸台遺跡の概要」

以上は全て、古河歴史シンポジウム実行委員会編『古河の歴史を歩く 古代・中世史に学ぶ』、高志書院、2012年に掲載